凡庸な罪

 

報告書に恒久的対策案を要請してくる顧客の要望に、上手いこと辻褄の合う発生起因を考える。事故の状況から見て、後々絶対的な対策が取れるためのストーリーを作る。人間は不確定で原因が不明瞭だ、だから対策も教育や配属転換くらいしかない。疲れていたから発生するヒューマンエラーなんてどう対策したらいいんだ?だからお客様にご納得いただけるようシステム制御の効く部分をうまいこと見つける、そういうストーリーを創造する。誠に申し訳ございません。ミスのない永続的な処理は人間がなるべく関与しないものだ、また、利益率の良い永続的な処理は人間が介在しないものだ。人間の処理速度は時に早く、時に遅く、変化があり、変化のない生産率を見込めず、個体差が大きい。かといってシステム的な処理では人間を多く集めたのに勝てないし人間より安い機械はない。人間は機械より安いけど人間は機械より劣っていて間違えるし対策をうまく練れない、壊れた部品を使い捨てるのが一番早いし正しいが、人間には自我があるのである。

お客様はご納得いただけるストーリーと少しでも安く済む初期コストと維持コストをお求めである。永続的に集客を見込めるストーリーをお求めである、結局、納得いただければそれで良いのだ。これは別にどの仕事でも多分同じだと思っていて、相手をうまいこと納得がいくようにストーリーを練れば良い、ストーリーの部品には数字があれば良い。数字と、少しの社会情勢を考慮した人権や倫理と、あと数字。

ストーリーを練るのは機械にはできないことだと思う。人間は機械の作り出したストーリーを受け入れたくないから。

 

普通の人でいいのに!という冬野梅子さんの漫画を読んだ。もりあがっていたやつ

ストーリーに関しては各所で色々言われているが、なにものにもなれないアラサーのイタイ女性の話だ。

なにものにもなれない人間、何者にもなれない人間なんておおよそほとんどの全員だろう。みんな何者にもなれないし特殊なスキルなんてない知識を深めても有意義な生産を行うことができる人間はわずかで、来たるべき新しいウイルスとの共存社会で生き残れる発想力も技術も視座もほとんど持っていない。ただ後々生き残る人間のルートがたまたま正解なだけ。選択の正解は知識の正解は後世の社会が決める。もちろん多少の選択の正解なんかはあるだろう、電車内に溢れる英語力を高めるとかビジネスの効率とか思考力とか脱毛とか、やっておいてまあ損はない獲得した方が良いスキルはある、でもそれは現在の視点からでしかなく、現在の視点から後々優位に立てるものをストーリーづけて売っている階層の人々がいるだけだ。でもまあ語学とか多いに越したことはないしまあ知識は多いに越したことが(あらゆる知識、ファッションでも文学でも映画でもなんでも良い)ない、知っていると知らないことがあることを知れるし形でないものは多いに越したことはない。所有コストも少なく済むしね。

わたしたちはなにものにもなれない。なにものにもなれないが生産していないと死んでしまうので、何かを生産した気になるためのものに躍起になる。例えばこんな意味のない文章とか。最たるものが労働と出産と恋愛だ、簡単に生産行為に携わっている気持ちになれて、そして人間以外のものになんの意味もない。人間がたまたま考えて、生産できる力を持ってしまったから生産したくて仕方ないからそういう行為が生まれただけだ、人間以外になんの意味もない。

男は退屈より電気ショックを選ぶ:研究結果
15分ほどひとりで何もせず過ごさせる実験を行ったところ、男性の場合は67%が、じっと考えにふける退屈より、自らに電気ショックを与える刺激を選んだ。

2014.07.07 MON 16:20

https://wired.jp/2014/07/07/men-would-rather-give-themselves-electric-shocks/

じっとしていることができない、痛みの方がマシである、痛みって言っても痛みは経験でもある、ネタにもなる、動画にとればウケるかもしれないし、そういう理由で皆何かに意味を見出して行動するのは結局一緒じゃんね。

イタイ女性の話を読みながら、この女性は結局口に出して他人への非難なんかしていないし「でもこれが皆普通の幸せなんだろうな」って考えている。特に何も有意義にクリエイティブに生産できない人間は恋愛や生殖行為で生産を行うしかない。それが理想的で模範的な人間とされているのはそういう普通の人間が多くないと結局社会システムが回らないからだと思う。

 

あんたも同じだよ
この世の凡庸なる者の一人
私は その頂点に立つ
凡庸なる者の守り神(チャンピオン)だ
凡庸なる人々よ
罪を赦そう
罪を赦そう
汝らの罪を赦そう

 

アマデウスという映画の中で凡庸な一人の男サリエリがラストシーンでいう言葉。

アマデウスはすごく良い映画なので見た方が良いと思う。これを見た感想としては「おおよそほとんどの人は凡庸なる人々の頂点にすら立てない」だった。確かにサリエリの音楽は単調だし、サリエリ自体も模範的な凡庸な人物だ、でもサリエリモーツァルトのことをきちんと天才だと認めて神がモーツァルトの音楽に寄り添っているのがわかる。ほとんどの凡庸な人物は天才が天才だということに気がつけないしわからない。わたしはサリエリにすらなれない。

サリエリにすら慣れないほとんどの人が生産行為を行なった気持ちになるために恋愛をして結婚をして子供を産んで何かを守る気持ちになって働いて社会に意味のあるストーリーを売りつけている。

凡庸な罪を許してほしい。