欲しがらせる、食べたいと思わせる、美しいとされる。

この世には、欲しいものはなくて、欲しがらせるためのものしかない。たべたいものはなくて、食べたいと思わせるものしかない。美しいものはなくて、美しいと思わせるものしかない。綺麗な顔なんてなくて、綺麗だと思わせるための顔しかない。

こういう気持ちに陥ってしまった。

何かを、欲しい!というきもち、それはたいてい情報から発生する。街でみかけたもの、お店でみかけたもの、誰か好ましいと考えている人が持っているもの、誰かが紹介したもの。わたしが欲しいわけではないのだ。だれかの取捨選択を模倣したい誰かがたくさんいてそのうちの一つが私だっただけだ。そのだれかもまたその先のだれかの選択を模倣しているだけだ。この世に本当に欲しいものなんてない。誰かに欲しいと思わせるためのものと、そのものがいかに素晴らしいかを宣伝するシステムがあるだけだ。食事もそうだ。何かを食べたいと思ったとき、わたしは本当にそれが食べたいのか?何か美しい写真や、それを美味しいよと言っただれかの声で食べたくなるだけだ。誰かに食べたいと思わせるためのものしかない。美のシステムだってそうだ、美しさなんてない。ただ、これが美しいのですと思わされている何かがあるだけだ。本当の美しさがいつか腐っていくだけの人間の顔なんかにあるだろうか?何も欲しくないのではなくて、欲しがらせるためのものしかないのだという気持ち。別にわたしが欲しがらなくてもどうせ誰かがそれを欲しがるのだ。色褪せていく。この部屋の全て、だれかにきれいだよと、よいものだよと、言われて買っただけのものしかないのだ。わたしがわたしだけでわたしからうまれた純粋なわたしの好みで選択したものなどあるのか、そんなものありえるか?ありえない。なぜならわたしは、そしてほとんどのひとが、この世で生まれてすぐ1人でなんの情報からも影響を受けずに生きていないからだ。

もちろんこれはただの冬季うつ的なものであろう。急に寒くなると憂鬱になるよね。それとわたしはめちゃくちゃな欲望の時期と全部吐き出したいという時期が交互にやってくるので、いまは吐き出したい時期なのだろう。ただそれだけ。